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意富加牟豆美命とは?伊邪那岐命を黄泉の追手から救った桃の神

ふくみる編集部

意富加牟豆美命|ふくみるオリジナルのイメージキャラクター
この記事の目次

意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)を救った桃に与えられた神名です。黄泉比良坂(よもつひらさか)で三つの実を投げる古事記の場面と、桃の邪除けの文化を分けて紹介します。

アイキャッチ:意富加牟豆美命を題材にした、ふくみるのAI創作イメージキャラクターです。実在する神像・文化財の写真や、歴史上の人物の肖像ではありません。

意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)は、功をたたえられた桃の神

おおかむずみのみこと。『古事記』の黄泉国の物語で、伊邪那岐命を救った桃に与えられる名です。初めから人の姿で現れる神ではなく、役に立った物が名を持つ神となる例です。

黄泉比良坂(よもつひらさか)で、三つの桃を投げる

妻の姿を見て逃げる伊邪那岐命は、黄泉の追手に迫られます。黄泉比良坂の坂本で桃の実を三つ取り、追手へ投げると、相手が退いて逃れることができます。

桃が出てくるのは、この逃走の終盤です。死の国との境を越えようとする局面で、身近な果実が、追ってくるものを退ける力を持つように描かれます。

自分を救ったように、人々を助けよと命じられる

伊邪那岐命は桃の功を認め、自分を助けたように、葦原中国(あしはらのなかつくに)の人々が苦しむときにも助けるよう命じ、神名を与えます。危機を切り抜ける一度の出来事が、人々を救う働きへ広げられています。

神名の「実」を、字面だけで決めない

大神の実という意味に解する説のほか、邪を退ける大きな神霊の意とする説などがあります。古代の仮名の使い分けも論点になるため、現代語の「桃の実」に似るから意味が確定するわけではありません。

神名がどのように読まれ、どの表記で残ったかを確かめることは、単なる語呂合わせと区別するためにも重要です。

『日本書紀』の異伝との違い

『日本書紀』にも、桃を投げて追手を退ける異伝がありますが、同じ神名が付くわけではありません。また、桃の登場しない別の逃走の伝もあります。両書を一つの再話にそろえるより、それぞれの道具と逃れ方を見てみましょう。

桃の節句や桃太郎へ、一直線につなげない

桃が邪を避ける文化は、さまざまな時代や地域に広がっています。しかし、後のすべての桃の伝承が、この一場面だけから生まれたと断定することはできません。

神話、民俗、昔話を比較する際には、成立の時代と資料を分けて記録します。桃を食べたり飾ったりすれば病気や災難を防げるという意味にもなりません。

黄泉の物語の、道具と境界

櫛やつる草、桃などの物が逃走を助ける点にも目を向けると、神々の会話だけでは見えない物語の仕掛けが分かります。菊理媛尊(くくりひめのみこと)は別の書の黄泉の異伝に現れる神です。

食べ物に変わる物と、追手を退ける桃

黄泉からの逃走では、投げた縵が実に、櫛の歯が筍となり、追う者が食べている間に距離ができます。その後の桃は、坂のもとで取って迎え撃つために使われます。食べさせて時間を稼ぐ物と、直接追手を退ける物とが、同じ役割を繰り返すのではなく段階を変えて登場しています。

場面の物逃走を助ける働き
縵・櫛食べ物となり、追手をとどめる
三つの桃坂のもとで追手を退ける
大きな岩二つの世界の通路を塞ぐ

名を授ける言葉は、救いを人々へ広げる

桃を食べて強くなったのではなく、桃を用いて危機から逃れ、その功績をたたえて神名が授けられます。伊邪那岐命の言葉は、自分が助かった経験を、地上の人々が苦しむときの救いへ広げています。道具としての働きと、名を持つ神として仰がれることが、短い場面の中で続いているのです。

桃と岩は、ともに境界にあっても別の存在

桃に名を与えた後にも、伊邪那美命本人との別れは残ります。最後に通路を塞ぐ岩は道反之大神(ちがえしのおおかみ)などと呼ばれ、桃の神とは別に語られます。追手を退けること、夫婦が向き合うこと、境界を閉じることを分ければ、桃の一撃だけで黄泉の物語全体が終わるわけではないと分かります。

先に追う予母都志許売(よもつしこめ)、続く八雷神(やくさのいかずちのかみ)、境を閉じる道反之大神の順に読むと、追跡と別離の緊張がどのように組み立てられるかを味わえます。

解説の参考:黄泉国② / 意富加牟豆美命

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