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天香山命は、越後一宮・彌彦神社の御祭神です。高倉下命との関係、越後へ伝えたとされる暮らしの技、弥彦山の御神廟を、神社公式の由緒から紹介します。

天香山命は、彌彦神社の伊夜日子大神
あめのかごやまのみこと。彌彦神社は、天香山命を伊夜日子大神として祀り、越後開拓の祖神と紹介しています。社伝では父を饒速日命、母を天道日媛命とし、高倉下命という名も伝えます。
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高倉下と、熊野の霊剣の物語
彌彦神社の公式由緒では、神武東征で一行が熊野で倒れたとき、夢告を受けて霊剣を献じ、危機を救ったと伝えられます。記紀で知られる高倉下の物語と、天香山命を結びつけるのが同社の説明です。
この関係を紹介するときは、神社の由緒による同一視として明記します。すべての古典の高倉下の箇所に、天香山命の名と同じ系譜が詳しく記されるという意味ではありません。
越の国へ渡り、暮らしの技を伝える
公式案内は、米水浦へ上陸し、漁業・製塩・酒造などの技術を伝え、弥彦へ居を移して稲作や畑作を広めたと語ります。山の神というだけでなく、海や田畑の営みに関わる祖神として受け止められています。
弥彦山頂の御神廟と、妻戸大神
彌彦神社の御神廟の案内は、山頂に伊夜日子大神と妻戸大神・熟穂屋姫命を奉祀するとしています。里の本社と山頂の御神廟という二つの場を知ると、山を仰ぐ信仰の形が見えてきます。
山上への参拝には天候や足元の条件も関わります。神の由緒を知ることと、安全な登山の準備は別に必要な事柄です。
神話上の年代と、歴史記録の年代
同社は伝承上の創建年代を示す一方、国史に見える記録として『続日本後紀』の天長十年の記事も紹介します。由緒にある紀元前の年次を、考古学的に確認された上陸日や創建年として扱わないことが大切です。
天香山という山名との取り違えに注意
天岩戸で道具や材料が採られる天香山と、天香山命という神名は、まず別の項目として扱う必要があります。神名と地名が似ていることだけで、鏡作りのすべてをこの神の事績にしてはいけません。
神武東征から熊野の剣の物語へ進むと、彌彦神社の由緒との接点が分かります。
海から越後へ、暮らしを整える祖神
彌彦神社の社伝は、天香山命が日本海を渡って米水浦へ上陸し、漁業・製塩・酒造の技を授け、後に弥彦で稲作や畑作を広めたと伝えます。海岸の仕事と田畑の仕事がつながり、一つの土地に暮らしの基盤が整うという物語です。開拓という言葉を、山を切り開く作業だけに狭めず読めます。
この神は、神武東征で霊剣を献じた高倉下命とも結びつけて語られます。熊野で危機を救い、後には越後の暮らしを開く、という二つの舞台を持つのが彌彦神社の由緒です。高倉下と天香山命の関係は、同社が伝える系譜と事績として確かめます。
山の麓の社と、頂上の御神廟を結ぶ
| 祭祀の場 | 公式案内に示されること |
|---|---|
| 麓の彌彦神社 | 天香山命を伊夜日子大神として祀る |
| 弥彦山頂の御神廟 | 伊夜日子大神と、妻戸大神・熟穂屋姫命を奉祀 |
御神廟は、山の上にもう一つ同じ名前の観光施設がある、という意味ではありません。社伝では、神が神去った後に山へ葬られ、御子が奉祀したことが創建へつながります。麓から山を仰ぐことと、山頂の祭祀の場を知ることが、同じ神への信仰を立体的にします。
由緒の古さと、記録に現れる時点を併せて読む
彌彦神社の公式由緒は、伝承上の創建だけでなく、天長十年(833)の国史の記事、後の神階奉授、万葉集の歌なども並べています。異なる時代の資料を順に見ると、信仰がどのように記録され、都にも知られていったかをたどれます。紀元前の社伝の年次と、九世紀の記録は役割の違う手がかりです。
天香山命を知る入口は、一つの武勇や一枚の系図に限りません。海の生業、田畑、山の祭祀、歌に詠まれる景観へと広がります。塩椎神と製塩の信仰とも比べると、各地の神々が暮らしの技と結びついて伝えられることを楽しめます。
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