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神功皇后とは?古典の伝承と住吉大社で祀られる理由

ふくみる編集部

歌川芳虎が1859年に描いた冕冠姿の神功皇后。江戸時代の作品による伝承上の人物像。
この記事の目次
まず3つだけ
  • 神功皇后は、古典に伝承が記された皇后で、住吉大社では「息長足姫命」として祀られます。
  • 『古事記』『日本書紀』には住吉大神との結びつきや遠征譚が語られますが、伝承をそのまま史実とは断定できません。
  • 卑弥呼と同一人物とする説は確定した結論ではなく、実在性を含め研究上の議論があります。

神功皇后(じんぐうこうごう)は、『古事記』『日本書紀』などに伝承が記された皇后です。住吉大社では「息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)」として、住吉三神とともに祀られています。古典では住吉大神の助けを得た物語が語られ、現在の神社信仰にもそのつながりが残ります。

古代の記録に登場する人物ですが、物語の内容を現代の確定した歴史と同じように読むことはできません。ここでは、古典の伝承、神社での祭祀、歴史研究上の注意点を分けて紹介します。

神功皇后(じんぐうこうごう)とは?名前と伝承

住吉大社の案内では、神功皇后の名を「息長足姫命」と記し、第十四代仲哀天皇の皇后として紹介しています。『日本書紀』では仲哀天皇の后として登場し、神託を受ける場面や、住吉大神と結びつく物語などが記されています。神社本庁も、古事記・日本書紀に神功皇后と住吉大神にまつわる伝承が見えることを紹介しています。

歌川芳虎が1859年に描いた冕冠姿の神功皇后。江戸時代の作品による伝承上の人物像。
歌川芳虎「神功皇后」(1859年)。江戸時代の絵師が描いた伝承上の人物像です。画像:Wikimedia Commons/Public Domain Mark 1.0。

この絵は当時の人々が思い描いた皇后像を伝える作品で、本人の姿を写した記録写真ではありません。古い絵や神社の由緒を読む際も、制作された時代と描写の性格を意識すると、伝承と歴史資料を区別しやすくなります。

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住吉大神と神功皇后(じんぐうこうごう)の物語

住吉大社の公式案内は、底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)の三神を住吉大神とし、第四本宮には息長足姫命(神功皇后)を祀ると説明しています。神社の由緒では、皇后が住吉大神の加護を得た伝承にちなみ、四柱をともにお祀りしてきたとされます。

参拝するときは、神功皇后だけを切り離して見るのではなく、住吉三神との組み合わせや、社殿ごとの祭神の祀り方にも注目できます。神社で「祭神」と呼ぶのは、その社でお祀りする神さまのことです。主祭神・相殿神・御祭神(ごさいじん)の調べ方も参考になります。

卑弥呼と同一人物なの?

神功皇后を卑弥呼と同じ人物とみる説が語られてきました。ただし、これは決着した見解ではありません。国立国会図書館レファレンス協同データベースに掲載された山梨県立図書館の回答でも、同一視には問題があり、神功皇后の実在性をめぐっても複数の説があると紹介されています。

よくある勘違い

「『日本書紀』に書かれているから、遠征のすべてがそのまま実際に起きた」とは言い切れません。古典の成立背景や他の史料との照合が必要です。ふくみるでは、出来事を神話・伝承として紹介し、確定した史実のように断定しません。

皇后から神社の祭神へ

神功皇后は、古典で語られる皇后であると同時に、各地の神社で祭神として祀られてきました。住吉大社では住吉大神との伝承を共有する四社の祭神の一柱です。また宇佐神宮や石清水八幡宮では、八幡神・応神天皇とともに祀られています。祭神表記や由緒を比べると、地域ごとの信仰のつながりが見えてきます。詳しくは八幡神と応神天皇、八幡大菩薩への信仰もご覧ください。

同じ古典の中巻には、神武天皇が東へ向かったと語る物語もあります。伝承の舞台や登場人物を続けて読むなら、神武東征(じんむとうせい)と熊野の剣・八咫烏(やたがらす)もあわせてどうぞ。

住吉三神の誕生と、皇后による鎮斎は別の場面

底筒男命・中筒男命・表筒男命が現れるのは、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉から戻って行う禊(みそぎ)の場面です。一方、神功皇后が住吉大神を祀る話は、後の世代の伝承に位置します。皇后が三神を生んだという意味ではなく、神の助けを受け、祀る土地を定めた人物として関わります。

住吉大社の由緒は、皇后が帰還の途中に神託を受けて住吉に鎮斎し、後に皇后自身も併せ祀られたと伝えます。古典の中で神の言葉を受ける人物と、神社で神として祀られる存在という、二つの位置が重なっています。

四つの本宮で、誰が祀られるかを確かめる

本宮御祭神
第一本宮底筒男命
第二本宮中筒男命
第三本宮表筒男命
第四本宮息長足姫命(神功皇后)

第一から第三までが住吉三神、第四が皇后です。第一・第二・第三本宮が直列し、第三と第四が並ぶという配置にも特徴があります。一つの大きな建物へ四柱をまとめて祀ると想像するより、それぞれの宮と神名を対応させると、現地の案内が読みやすくなります。

遠征の物語だけでなく、田を作る由緒もある

住吉大社は、境内の御田と御田植神事について、神功皇后が長門国から植女を呼び、田を作って五穀豊穣を祈ったことに始まると案内しています。皇后は武装して遠征する姿だけでなく、土地で食を育む祭りの由緒にも登場します。

航海の安全が人や物の往来を支え、田の実りが土地の暮らしを支えます。神功皇后と住吉大神への信仰を、戦いという一語だけに狭めず、海と農耕の両方から見ることができます。伝承の内容を知ることと、その出来事が史実として確認されたと述べることは区別して説明します。

弓を用いる神事と、八幡信仰へのつながり

同社は、神功皇后が鎮斎に際して警護のために弓部を置いたという故事を、御結鎮神事に結びつけて紹介しています。新春に弓を用いて邪気を退け、天下泰平を祈る神事です。武具は戦いの道具だけでなく、祭りの中で境や秩序を守るしるしにもなります。

皇后の子として伝わる応神天皇は、八幡神として仰がれます。神功皇后も八幡宮の祭神に含まれるため、住吉と八幡の由緒を行き来すると、母子と海の神の関係が見えてきます。八幡神の記事と合わせて、どの社で誰とともに祀られるかを知ると、信仰のつながりをたどれます。

解説の参考:住吉大社の由緒 / 住吉大社の神様 / 本殿

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出典・画像

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