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東照大権現とは?徳川家康公が祀られる日光東照宮と神号の意味

ふくみる編集部

日光東照宮の陽明門

撮影:Jpatokal/Wikimedia Commons・CC BY-SA 4.0。出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nikko_Toshogu_Yomeimon_Gate_2024.jpg。ライセンス:https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0 現実の社殿の実景写真。

この記事の目次

東照大権現(とうしょうだいごんげん)は、徳川家康公を神として仰ぐ神号です。久能山から日光への遷座、東照社から東照宮への呼び名の変化、権現と神仏習合(しんぶつしゅうごう)の関係を紹介します。

日光東照宮の陽明門
日光東照宮の陽明門の実景写真。撮影:Jpatokal/Wikimedia Commons・CC BY-SA 4.0。神話上の出来事や祭神の姿を撮影したものではありません。

東照大権現(とうしょうだいごんげん)は、徳川家康公を神として仰ぐ神号

とうしょうだいごんげん。江戸幕府初代将軍の徳川家康を、没後に神として祀る際の呼び名です。古事記の神生みで現れる神ではなく、歴史上の人物を祀る信仰の中で理解します。人名と神号は、別々の二柱を指すわけではありません。

久能山から、日光へという由緒

日光東照宮の公式由緒は、家康が1616年に亡くなり、久能山に葬られ、その翌年1617年に日光へ移して祀られたと伝えます。人の生涯の終わりと、神を祀る社の始まりが連続することが、この信仰を知る手がかりです。

初めは東照社、後に東照宮へ

同社は、1617年に東照社として鎮座し、1645年に宮号を賜って東照宮と呼ばれるようになったと説明しています。現在の名前だけを見ると、成立当初からずっと同じ社号だったと思いがちですが、呼び名にも歴史があります。

権現という語と、神仏が重なった時代

権現は、仏が人々を救うため神として現れるとする理解と関わる呼び名です。神社と寺院が密接だった近世の信仰の中で用いられました。現代の神社の制度や区分を、過去へそのままさかのぼらせないことが大切です。

現在の社殿の多くは、家光の大造替

日光東照宮の公式由緒は、主な社殿群が1636年、三代将軍家光によって造り替えられたとしています。建物の豪華さを、家康本人が生前にすべて設計した成果として語るのは正確ではありません。

陽明門の実景写真は、現在見られる建築を写したものです。家康の神霊の姿や、17世紀の祭礼を当時そのまま撮影したものではありません。絵や社殿と祭神そのものを分けて見る必要があります。

神輿の行列に、遷座の記憶が残る

日光市の文化財解説は、渡御祭の行列を、家康の日光遷座の様子を伝える祭礼として説明しています。神をどこへ迎え、どう祀るかという歴史が、建物だけでなく祭りにも受け継がれています。

人物の評価と、神を祀ることを分ける

家康は歴史上の政治家でもあり、評価する視点は一つではありません。神として祀られることを理由に、すべての政策の善悪や成果が決まるわけではありません。ここでは、没後にどのような神号で祀られ、土地の祭祀がどう続くかを紹介します。

人を祀る神社という広がり

豊国大明神(とよくにだいみょうじん)・豊臣秀吉公などと比べると、神話の神々だけではない日本の祭神の広がりが分かります。人名・神号・社名の三つを組にして読むと、混同が減ります。

人の没年、社の創建、建築の造替を分ける

家康の死去と、日光へ祀ること、現在につながる社殿の整備は、同じ年の一つの出来事ではありません。日光東照宮の由緒と日光市の文化財案内を並べると、人物の生涯と、神として記憶し祀る場の歴史を別々に追えます。建物の制作年だけで祭神の成立時点を決めないことが大切です。

見る時間知るための資料
人物の生涯家康の事績と没年
祭祀の始まり創建・遷座・社号の由緒
建築の歴史社殿や彫刻の文化財案内

大権現という神号を、絵や建築と併せて知る

東照大権現という呼び名は、神と仏が重なって理解された歴史の中にあります。神号を読むことと、社殿の彫刻や配置を見ることを併せると、政治の中心だった人物を、後の人々がどのような信仰の場で記憶したかを考えられます。人物への評価と、祭祀の成り立ちを分けて読める例です。

あわせて読む:豊国大明神・豊臣秀吉公 / 神仏が重なった弁財天信仰

解説の参考: 由緒 / 日光の社寺:東照宮/日光市公式ホームページ

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